中国 沈みゆく遺跡三峡の旅
 長江中流の渓谷地帯に連なる 瞿塘峡、巫峡、西陵峡 を三峡と呼ぶ。
長江は、チベットを源流として重慶、武漢、成都と中国大陸の華中を流れ、南京、
上海を経て東シナ海に至る、延長6,380Kmの世界3位の大河である。
日本では長江を揚子江と呼ぶが、揚子江は海に近い下流部、上流部は金沙江と
呼ぶこともあるが一般的には長江である。
成田からの飛行機遅れに続き、上海から重慶への
飛行機も遅れた為、私たちが乗船するはずであっ
た五星のクルーズ船「ビクトリア2号」は重慶の長天
門埠頭からすでに出航してしまった後だった。
重慶の街を観光する暇もなく、バスに乗り長江沿い
の山岳の路を豊都へ向けて「ビクトリア2号」を追っ
てした走った。
3時間ほどで豊都・鬼城の船着き場に到着。「ビクト
リア2号」の乗客はすでに鬼城の見学を済ませ、皆
乗船していた。 我々が鬼城を見学して乗船するま
で待っていてくれるとのこと、これで三峡クルーズは
保証されたと安堵する。
重 慶
重慶は長江中流にあり、長江と嘉陵江に囲まれ地の利が良いため昔から産業が発展していて、今では
中国有数の重工業の街である。 人口は3,000万の大都市で上海と同格の中国に4つ有る直轄市の一
つとなっている。 丘陵地に開け起伏があり坂の多い街で「山城」ともよばれている。 3千年以上の昔
春秋時代からの歴史が有り巴国の首都でもあった。 三峡クルーズはこの地から武漢までの長江の渓
谷地帯を2泊3日でゆったりとクルーズする。
豊都・鬼城(おにじょう)    
三千年余り前の東周時代に都があった豊都は歴史
の古い街である。唐の時代から鬼が住んでいたと
言われるこの街は別名「鬼城」とも呼ばれている。
鬼城入り口からリフトで上がった名山山頂に鬼城が
あり、明の時代につくられた廟には金色の閻魔大
王が俗人どもを待ち構えている。いろいろな鬼の面
や地獄めぐりのミニチュアモデルを観て、「人間は
みんな死後魂を閻魔大王に裁かれる」という説明を
聞く。普段信心深くない者も閻魔大王や鬼達の迫
力に圧倒される。そんななか細面で美人の閻魔さま
の奥方の像があった、なにか心の中でホッとする我
はどの地獄に堕ちるのか。庭の隅には大きな楼閣
がそびえたっている。「鬼城」は道教の総本山があ
ることでも有名である。
豊都の街は三峡ダムが出来ると水没するため、対
岸に移転していた。
三峡ダムで水没するため、対岸に移転した
豊都の街と乗船した船着き場。
三峡クルーズ
豊都よりビクトリア2号に乗船、いよいよ失われゆく三峡の絶景を訪ねるクルージングが始まりる。
我々が乗船すると同時に出航。日本では3,000t級の客船が河をクルージングする事はないので船は
波に揺られて走るものとの思いがあり、湖面をゆっくり走る様なクルージングは快適である。
部屋でシャワーを浴びた後、船長主催のウエルカムパーティーがありシャンパン、カクテルで歓迎され
た。船長が中国語で挨拶し向かって左の女性が英語で、右の女性が我々の為に日本語でそれを訳す。
日本語は別として、船長が中国語、英語で挨拶すれば一人女性がいらないのではないかと思うがそこ
は中国、14億人近い人がいるのでワークシャーリングが徹底しているようだ。
乗客は欧米人が多く華やかで、賑やかな船旅となった。
ロビーフロアーにある我々の客室は河面が手にと
どくようで、そこから観る峡谷は迫力が増す。窓か
ら入る風は心地よく、大河をゆったり走るクルーズ
はまったりと時間が過ぎてゆく。
重慶の街と長江 バスの車窓より
三峡クルーズ



















































































































































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